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1984年に、エレクトロ・ポップ・トリオ、ブロンスキ・ビートのヴォーカリストとしてデビュー。残りの2人のメンバー、スティーヴ・ブロンスキとラリー・スタインバチェックも、オープンリー・ゲイである。
彼らのデビュー・シングル「Smalltown Boy」は、ゲイであることを受け入れてくれない両親のもとから離別していく少年の悲哀と孤独を歌った曲だった。また「Smalltown Boy」のヴィデオ・クリップでは、アンチ・ゲイの青年たちによるゲイ狩りの残忍な姿も真向から描かれ、今日の視点で見ても充分衝撃的な作品である。
ブロンスキ・ビート以前にも、オープンリー・ゲイのアーティストによる、ゲイのセクシャリティの諸問題をテーマとしたポップ・ソングは存在していた。しかし、幅広く大衆に受け入れられたとは言えず、アンダーグラウンドに留まっていたのが現実だった。ところが、「Smalltown Boy」は全英のヒット・チャートで最高3位を記録する大ヒット曲となり、メインストリームで成功を収めた初のゲイ・ポップ・ソングとなった。
"Smalltown Boy"
スモールタウン・ボーイ
(1984)
2nd シングル「Why?」は、完全にアンチ・ゲイを糾弾する内容を持った作品で、これも全英最高6位の大ヒット曲となった。その年の終わりには、1st アルバム『The Age Of Consent』をリリース。そのタイトルは、たとえ相互の同意に基づいていても21歳以下の同性とのセックスは禁止するという、当時の英国の法律を批判したものだった。
"Why?"
ホワイ?
(1984)
この『The Age Of Consent』からは、「Ain't Necessarily So」が彼らの3rd シングルとしてカットされた。この曲は、アメリカのシンフォニック・ジャズの作曲家、ジョージ・ガーシュウィンのオペラ『ポーギーとべス』の中で歌われている曲のカヴァー。シングル向きのキャッチーな曲ではないのだが、人種差別主義批判の文脈において聖書の内容に疑問を呈するこの曲を、ブロンスキ・ビートは、アンチ・ゲイを批判する文脈に巧みに置き換え、これを全英最高14位のヒット曲とした。
さらに4th シングルとして、ドナ・サマーのヒット曲のメドレーであるアルバム収録曲「I Feel Love/Johnny Remember Me」を、さらに同じくドナ・サマーの「Love To Love You」の一節も加え、やはりオープンリー・ゲイのアーティストであるマーク・アーモンドとのデュエット曲として再レコーディング。ゲイ・アーティストの豪華共演となったこの曲は、「Smalltown Boy」と並ぶ全英最高3位の大ヒット曲となった。
"I Feel Love/Johnny Remember Me"
(featuring Marc Almond)
アイ・フィール・ラヴ
(1985)
こうして、1984年から85年にかけて、オープンリー・ゲイのアーティストとしてはかつてない成功を収めたブロンスキ・ビートだったが、ジミーは1985年に早々とブロンスキ・ビートを脱退。そして、「Ain't Necessarily So」にゲスト参加していたミュージシャンのリチャード・コールと、ポップ・デュオのザ・コミュナーズを結成。同じ1985年に、アルバム『The Communards』をリリースして、ほとんどインターバルを開けずに新しい活動に移行した。
リチャード・コールは、もともとはクラシック音楽をルーツに持つピアニストであり、コミュナーズの音楽は、そのリチャードのクラシカルな演奏スタイルと、ジミーのディスコ指向が融合したスタイルを持っていた。
コミュナーズの最大のヒット曲は、1st アルバムからのシングル「Don't Leave Me This Way」。この曲は、もともとはハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツのソウル・クラシックであるが、テルマ・ヒューストンのカヴァー・ヴァージョンも有名で、コミュナーズのヴァージョンは、テルマ・ヒューストンのヴァージョンを元にしている。コミュナーズの「Don't Leave Me This Way」は、全英ヒット・チャートの首位を4週連続でキープし、1986年のイギリスで最も多くの枚数を売り上げたシングルとなった。
"Don't Leave Me This Way"
ディス・ウェイ
(1986)
また、1987年の2nd アルバム『Red』からは、「Never Can Say Goodbye」が全英最高4位のヒットとなっている。この曲はジャクソン5の1971年のヒット曲だが、コミュナーズが元にしたのは、グロリア・ゲイナーによる1974年のカヴァー・ヴァージョン。歌詞の中に登場する「girl」は、すべて「Boy」に置き換わっている。
"Never Can Say Goodbye"
さよならは言わないで
(1987)
しかし、コミュナーズも1988年に解散。ジミーはソロ・アーティストとして活動していくこととなった。
1st ソロ・アルバムは、1989年の『Read My Lips』。このアルバムからは、シルヴェスターのカヴァー曲「You Make Me Feel (Mighty Real)」が全英最高5位の大ヒットとなっている。また、タイトル曲の「Read My Lips」のヴィデオ・クリップには、後にレズビアンであることをカミングアウトしたシネイド・オコナーがゲスト出演していた。
"You Make Me Feel (Mighty Real)"
マイティー・リアル
(1989)
そして1991年、これまでのキャリアの集大成として『The Singles Collection 1984-1990』をリリースした後、ジミーは音楽活動を休止し、ゲイとしての自分の人生を見つめなおす内省的な作業に力を注いだ。この音楽活動休止期間中に、ジミーはヴァージニア・ウルフの小説を映画化した、サリー・ポッター監督作品『Orlando』に出演、俳優としてもデビューしている。
ジミーが音楽活動に復帰したのは1995年。2nd アルバム『Dare To Love』をリリースした。タイトル曲の「Dare To Love」は、10代の少年を愛してしまった男の苦悩を描いた、ブルース風のバラード。このアルバムからは、オープニング曲の「Heartbeat」が全米のダンス・チャートで No.1ヒットとなったほか、イギリスのレゲエ・シンガー、スーザン・キャドガンのカヴァー曲「Hurts So Good」が全英最高15位を記録している。
『Dare To Love』以降、ジミーは次のアルバムのリリースまでに長いインターバルを置くようになり、3rd アルバムがリリースされたのは、『Dare To Love』から実に4年後の、1999年。レコード会社をロンドン・レコードからグート・レコードに移籍して、『Manage The Damage』をリリースした。これまでのジミーのアルバムは、ブロンスキ・ビートやコミュナーズ時代も含め、必ずカヴァー曲が収録されていたのだが、この『Manage The Damage』は、全編がジミーのオリジナル曲で占められている。
翌2000年には、『Manage The Damage』からのシングル曲のリミックスとB面曲をアメリカの市場向けに編纂したコンピレーション盤『Root Beer』をリリース。その後、今度は5年というインターバルを置いて、2005年、待望の4th アルバム『Home Again』がリリースされた。
この『Home Again』には、前年のうちに先行リリースされていた2枚のシングル「It's So Good」「Come On」が収録されているほか、「Ain't No Mountain High Enough」が新たにシングル・カットされた。この曲は、オリジナルはマーヴィン・ゲイ&タミー・テレルによるモータウンのクラシックだが、ゲイ・アンセムの代表曲「君の瞳に恋してる」で有名なボーイズ・タウン・ギャングもこれをカヴァーしており、ジミーはそちらのヴァージョンにインスパイアされている。
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