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Queer Musicians.

アレックス・パークス
Alex Parks

公式サイト http://www.alexparks.com/
Introduction

Honesty

 1984年7月26日、イギリスのコーンウォール生まれ。本名はアレクサンドラ・レベッカ・パークス。2003年10月、イギリスBBCテレビのオーディション番組『Fame Academy』の第2シーズンで優勝し、同年11月、シンガー・ソングライターとしてデビューを飾った。

 また彼女は、『Fame Academy』放映中に、自身がレズビアンであることを明かしており、その上で番組に優勝してメジャー・デビューの切符を手にした彼女は、イギリス初の、デビュー時からのオープンリー・レズビアン・アーティストとなり、イギリスのLGBTコミュニティから大きな注目を集めた。

『Fame Academy』は、人気オーディション番組『Pop Idol』と、人気リアリティ・ショウ『Big Brother』のフォーマットを、足して2で割った番組である。予選を通過した参加者たちは、『Big Brother』と同じように、一つの建物の中に隔離され、2ヶ月のあいだ、外界との接触を禁じられて共同生活を送る。番組の中では参加者たちは「生徒」と呼ばれ、ありとあらゆる行動を24時間絶え間なくカメラで中継されながら、ヴォーカルや作曲、ダンスなどのレッスンを積み重ねていくのである。そして『Pop Idol』や『American Idol』と同様、週1回、生き残りをかけてパフォーマンスを行ない、視聴者からの電話投票によって、支持の低かった者から順次脱落していくという番組である。

 アレックスは15歳で作曲を始め、大学ではパフォーミング・アートを学び、ワン・トリック・ポニーというローカル・バンドのリード・ヴォーカルも務めていた。だが、そんな彼女が『Fame Academy』に参加したのは、実は自らの意志ではなかった。当時の彼女は、全てに無気力になっていた。それを気づかった彼女の父親が、彼女のヴォーカルのテープをBBCに送り、オーディション番組に参加させることによって、彼女に気力を取り戻させようとしたのだった。

 当時のアレックスは、心に深い傷を負っていた。というのも、当時交際していたガールフレンドが、別の女性とも関係を持っていたのを知ってしまったためである。

 アレックスの両親は、娘の同性愛を既に知っていた。アレックスは14歳で、両親へのカミングアウトを済ませていた。幸いなことに、彼女の両親は非常に理解のある人物で、二人とも芸術大学の学生課に勤務しており、日頃から若い世代に接する機会が多かった。さらに彼女の父は、精神療法医の資格も有しており、旧弊的な価値観を押しつけて娘を苦しめるような人物ではなかったのである。

 父親の思いつきがきっかけで、『Fame Academy』に参加することになったアレックスは、12,000人の応募者の中からファイナリストに選ばれた。そして、『Fame Academy』撮影のために特別に使用が許可された、ロンドンではバッキンガム宮殿に次いで2番目に大きい、ウィタンハーストという由緒ある豪邸に、アレックスは「生徒」として「入学」した。彼女は最年少のファイナリストだった。

 他の参加者たちが、スターへの野心をみなぎらせる中にあって、そうした意志を持たないアレックスは、明らかに異彩を放っていた。恋人に裏切られ、自分を信頼する心を失っていた彼女は、自分と他の参加者を引き比べては、自分を疑ってばかりいた。しかし、一度『Fame Academy』に飛び込んでしまった以上は、音楽への情熱を振り絞って勝ち抜いていくより他に、彼女は状況をより良い方向へと転ずる術を知らなかったのである。

 だからこそ、彼女の歌声には、野心による曇りのない、純粋さがあった。

 カメラに向かって挑みかかるような、それでいて虚無感のようなものを常に漂わせた、アレックスの澄んだ眼差しは、視聴者の心を捕えていった。

"Words"
(from TV show "Fame Academy", 2003)

 何をするにも常にカメラの監視下にあるリアリティ・ショウの中では、アレックスがレズビアンであることを隠せるはずもなかった。彼女はシーズン半ばでカミングアウトした。だが、これによって視聴者からのアレックスへの支持が下がることなどはなく、最終的にアレックスは、『Fame Academy』第2シーズンの覇者となった。

 そして、メジャー・レーベルのポリドールと、ついに契約を交わすことが決まったのである。

 アレックスのメジャー・デビュー決定は、イギリスのLGBTメディアにとっては、大きな期待材料となった。アレックスはレズビアンであることを初めからオープンにしており、しかもそれを t.A.T.u.のようにパフォーマンス化することもなく、あくまでも自然体で、そのうえ充分に若かった。そのようなレズビアン・アーティストは、これまでのイギリスには存在していなかった。レズビアンの歌手と聞いて異性愛者がすぐに想像するようなクルー・カット姿のトーチ・ソング・シンガーではなく、若い世代のレズビアンがロール・モデルとして真に共感し、憧れることのできるロック・アーティストが、ついにイギリスに登場したのである。

 さらに見逃してはいけない事実というのは、アレックスの優勝が、審査員によって決められたものではなく、視聴者からの投票によって決定された、ということであった。アレックスと同じく、視聴者投票によるオーディション番組で優勝したウィル・ヤングは、デビューしたのちにゲイであることをカミングアウトしているのだが、アレックスの場合は、カミングアウトがあったのちに、視聴者によって勝者に選ばれているのである。これはまさに、イギリスのレズビアン・コミュニティにとっては画期的な出来事であった。

 そして、この優勝は、アレックス自身にとっても、レズビアンであることへの自信に繋がった。デビュー・シングル発売直前の『Guardian』誌のインタヴューで、アレックスは次のように語った。

「『Fame Academy』に出る前は、極端に落ち込んでた。信頼できるものが何にもなかったから。ここにこうして腰かけて話すだなんて、できっこなかった。同性愛の問題が大きく関わってたと思う。あらゆる局面で、人は自分が他人にどう思われているのかと、びくついてしまうでしょ。特に同性愛者の場合は、そのことが問題にされてしまうかもしれないし。私がみんなに受け入れてもらえたのは、それが私の大部分を占めているからだけど、だからこそ、受け入れてもらえて気持ちが楽になった。いい気分よ。私は自分が何であるのかを、心から感じてるから。」

 また彼女は、レズビアンの若い世代のロール・モデルとなることにも自覚的であった。

「私は私であり続けてきたと自分では感じているけど――みんなには、『自分はたった一人なんかじゃないんだ』と思わせてくれる誰かが必要。私も、『自分は世界にたった一人きりなんだ』と思い込んでたことがあったから。私には、お手本になる人がいなかった。本当に。私にはそういう人がいなかった。」

 そして、若い世代のロール・モデルになることはもとより、イギリスの音楽業界におけるレズビアンの可視化の促進が、アレックスには期待されていた。しかし、そのためにはアレックスが音楽業界で成功し続けなければならない。実際のところ、リアリティ・ショウ形式のオーディション番組の出身者は、旬の時期が短い。なぜなら、視聴者にとっては、番組の勝者が華々しくデビューを飾ったその時点で、彼もしくは彼女のサクセス・ストーリーは完結しているのであり、勝者のその後にも興味が継続されるわけではないのである。したがって、アレックスがイギリス音楽業界のレズビアンの可視化を促す存在となるかどうかは、むしろアレックスのその後にかかっていた。

 番組終了の翌月、いよいよアレックスのファースト・シングルが発売された。既に『Fame Academy』の中で披露していた自作曲、「Maybe That's What It Takes」である。この曲は、2003年11月17日にリリースされ、全英シングル・チャートで最高位3位を記録する大ヒットとなった。

"Maybe That's What It Takes"
(2003)

 そして、シングル発売の翌週には、1st アルバム『Introduction』がリリースされた。アレックスのオリジナル曲の他、彼女が『Fame Academy』の中で歌った、クリスティーナ・アギレラの「Beautiful」R.E.M.「Everybody Hurts」、ジョン・レノンの「Imagine」など、6曲のカヴァーを含む、全13曲が収められている。『Introduction』は、全英のアルバム・チャートで最高位5位を記録し、イギリスだけで50万枚を売り上げるヒット作となった。セカンド・シングルとして2004年2月にアルバムからカットされた「Cry」は、全英シングル・チャート最高位13位を記録した。

"Cry"
(2004)

「Cry」のリリース後、アレックスはセカンド・アルバムの製作に入り、2005年10月、前作よりもオルタナティヴ・フォーク色を強めたセカンド・アルバム『Honesty』と、シングル「Looking For Water」が発表された。しかし、所属レーベルのポリドールは、「Looking For Water」をダウンロード販売のみとした。アレックスのファンは、この決定に大きく反発した。当時のイギリスのヒット・チャートでは、ダウンロード販売による数字はまだカウントされていなかった。そのため「Looking For Water」はヒット・チャートには一切ランク・インされず、『Honesty』の売り上げに弾みをつけるには至らなかった。アレックスは全英ツアーを行ない、各地でソールド・アウトを記録する盛況を見せた。にもかかわらず、『Honesty』の最高位は24位止まりだった。そもそもポリドールは、商業性の強い前作からオルタナティヴ色を増した『Honesty』の出荷枚数を、最初から抑えていたのである。こうしたポリドールの売り方をファンは強く非難し、アレックスとポリドールの関係は急速に悪化した。

 結果、2006年2月、アレックスはポリドールとの契約を解消した。

 今のところは活動を休止しているアレックスだが、音楽業界から引退したわけではなく、既に幾つかのインディー・レーベルから契約の話が持ちかけられているという。日本盤が発売されるよりも前にメジャー・レーベルとの契約が解消されたことは残念だが、イギリスには有力インディー・レーベルが多く存在している。より良きレーベルとの出会いと、そこからのアレックスの復活を待ちたい。

(最終更新日:2006年8月22日)


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